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いつの時代でも、遥かなる時代を先取りすれば嫌われる。十歩ぐらい先なら世間も従うだろうが、百歩も先なら誰も認めない。それは「空想」「妄想」であり、それを唱える人間は「奇人変人」と言われるようになる。
花のお江戸で、世間を欺く「奇人」「変人」、私利私欲にはしる「ペテン師」などと有り難くない悪名を山ほどいただき、安永8年(1779)獄中で病死した男がいた。その名は、江戸のアウトロー・平賀源内である。
魚類図鑑、油絵、方歩計、源内焼、金唐車紙、戯作、浄瑠璃、狂文、ポルノ、平線儀、測量機、火洗布、寒暖計、朝鮮人参栽培法、毛織物製造、金山事業……。鎖国時代にありながら、レオナルド・ダ・ヴィンチも真っ青という多才な才能を発揮した。
彼の催した物産展の開催は、本草学・植物学・イベントの走りであり、エレキテルの発明は機械学・電気学の萌芽であった。「人を驚かす」という才能は抜群、発明すればすぐに誇大宣伝を開始する(それがために墓穴を掘ること数知れず)、吉原の人気おいらんを使っての源内櫛を大宣伝(芸能人を使ったCM)したり、内容も効能はあまりないなどという逆説的な宣伝文句は、江戸っ子の酒落と遊び心を巧みに衝いている。現代風に言えば、コピーライタ-であり、企画・広報の達人でもあったのだ。
だが、何ひとつまとまりもなく、何ひとつ成功した試しがない。その極め付けがエレキテルである。エレキテルは、当時の世人には奇妙奇天烈にしか見えなかった。彼の野望とは裏腹に、単なる肝試しの機械に成り下がってしまった。
当時、江戸に屁を見事に屁り分け、鶏の鳴き声や三味線の伴奏を奏でるといった「放屁男」がいた。源内は、この男を「放屁論」で次のように評している。
「古今東西、このようなことを思いつき、工夫した人は誰もいない」と絶賛する。さらに「放屁論後編」では「火の原理も屁の原理も同じようなもの、わしは大勢の人間の知らざることを工夫し、エレキテルを初め、今まで日本にない多くの産物を発明した。これを見て人は私を山師と言った。つらつら思うに、骨を折って苦労して非難され、酒を買って好意を尽くして損をする。……いっそエレキテルをへレキテルと名を変え、自らも放屁男の弟子になろう」。
彼は、放屁男を自分自身の自画像として描いている。
「こういう万能の天才を評価する風土は、当時の日本にはなかった。封建的身分制度に束縛された当時の社会には平賀源内のような破天荒な男を受け止める余裕はなかった。平賀源内の孤独は決して過去のものではない。おそらく彼のような男は、現代日本の中でも一匹狼として孤独をかこっているに違いない。しかし彼のような男を孤独にする限り、日本に本当の意味の創造的な文化は育たないであろう」(哲学者、梅原 猛)
平賀源内は、今でこそ「万能の天才、時代の先駆者」などと評価されているが、当時は時代に束縛された全くの不自由人であった。その無念さを思うと同情の念は禁じ得ない。
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